日記

奈良県に引っ越したよ、あと今更ながらなぜ店を辞めたのか解説

2024年7月14日

こんにちは。aruiteruキャプテンです。先月末に荻窪から奈良県へと家族で引っ越しました。

↑奈良県警のキャラ。奈良では民でも公でも何でも鹿モチーフです。

2022年末にお店の閉店を考えた時からなんとなく計画を始めていましたが、実際に引っ越すまでは約1年半かかりましたね。

なんで引っ越したのか、そもそもなんでお店を辞めたのか

ズバリ子供の為。というか、育児の為

これはお店を閉店した理由にも大きく繋がります。

長男を妊娠した時に、お店の運営と育児の両立出来るのか不安に駆られた私は馴染のお客さんに弱音を吐いていました。

その時に言われた言葉。

「キャプテン、東京が実家でしょ?じゃあ余裕だよ!」

確かに東京出身の私の実家は荻窪から1時間以内で行ける場所にありました。

そうだよね(*^^*)

その時はその言葉を受け止めて育児へと励みましたが、現実はそう上手く行きませんでしたね。

両親共に自営業で現在も現役で働いていて、1ヶ月前くらいから約束しておかないと預ける事が出来ない。

緊急時には一度も頼れませんでした。

例の感染症の影響で息子たちが通う保育園が臨時休園になってしまった時。丁度お店では外部の作家さんを呼んだ展示イベントをやっている期間でした。

その時も結局東京に私の両親がいるのにも関わらず、奈良から夫のご両親に来て貰うという事態になってしまいました。

この出来事のショックがかなり大きくて、私がお店の運営と育児の両立を諦めるきっかけとなりました。

それと同時に、嫌な顔を1つもせずに連絡した翌々日から一週間ほど狭い荻窪の我が家で同居をしてくれた奈良のご両親の優しさに心を打たれました!

これは自分の両親が悪いという話では決してありません。

本当にお店を続けたければ、そもそも年子で出産する事を選ばないし、自分の意思の問題です。

しかしながら、なんで今自分はこんな状況で育児をしているんだろう?と客観的に考えるきっかけになりました。

このまま2人を育てながらお店を継続すること。頑張れば私なら絶対に出来る事だったと思っています。

しかしその道は体力と気力面で物凄く厳しいぞと。

そんな状態で子供達と過ごしても楽しくないんじゃないか、お店はそこまでして続けたいことなのか?

そこで私が出した答えはお店を辞める事でした。

↑ 2023.3.19 常連さんたちの前で涙で終わりの挨拶をするワシ。本当に最高のお客さん達に恵まれて幸せなお店でしたよaruiteru。

お店を始める時に東京都の創業サポートを使って600万円ほどお金を借りましたが、なんとか完済して終われました。

色々マグレもあったんですがね。家賃も毎月15万円ほど支払っていたので手前味噌ですがようやったなと思いますよ。笑

お店辞めて暇になったのになんで引っ越したのか

お店を辞めた2023年の4月から今日までの事を振り返ると、

もう、

超〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜楽しい!!

の一言に尽きる。

自分の店だったから、割と自由に週末も休んだりとかしてたけど、でもやはり常にプレッシャーは感じていました。

常に数ヶ月先までイベントを考えて、それに果たしてちゃんと人が来てくれるかなと不安になったり。

特に子供が産まれてからはイベント前の準備が間に合わなくて、深夜から朝方までお店で準備をしている日もザラにありました。

その時はやるしかないからあまり辛く思わなかったんだけど、やはり冷静になるとめちゃくちゃシンドかったです。

そんな状態だったので、イベント情報をチェックしたりとか遊びに行ったりは殆どしてませんでしたね。

ハロプロに関しては誘われるので割と行ってたけど。笑

新しいものとか場所にはほぼ触れ合わずに生きてましたよ。

土日も基本的には子供達を夫に任せてお店。

お店を休む時は何か行事等の予定がある日だったので、子供達と「特に何も無い週末」を初めて過ごしました。

児童館とやらも初めて連れて行けましたよ。

子供達も児童館が大好きになって、ここ1年間の週末は子供達と児童館巡りをしてました。

日プに熱中してそのままME:Iのファンクラブに入ったりとか、お店をやっている時だったらあり得なかったと思います。

2列目で観られて最高すぎたME:ICONIC

お店を辞めて気力と体力に余裕が出来た。

一見このまま東京に暮らせばいいような気がしますが、どうして私達家族は奈良に行ったのか!?

それはまた次回のブログで書きますね。

噂通り一家に1台たこ焼き器がある関西。おじいちゃんがたこ焼き作ってくれてます。

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